オフィシャル・ゾンビ
ーOfficial Zombieー
オフィシャル・ゾンビ ⑦
これまでのおおざっぱないきさつ――
ある日、いきなり異形のゾンビ(亜人種)、タヌキの妖怪(?)と化してしまった人気お笑いコンビ、「アゲオン」のツッコミ担当、鬼沢 耀(オニザワ ヨウ)。そこに政府公認のオフィシャル・ゾンビとして公式のアンバサダーを名乗る、おなじくお笑い芸人にしてクマのバケモノと化した「宮田日下部(みやたくさかべ)」のボケ担当、日下部 煌(クサカベ コウ)により、すったもんだの末に自身もアンバサダーとしての実施訓練を強要されることとなり……!! 抱腹絶倒のドタバタコメディ佳境に突入!!
ガッシャアアアアアーーーーーーンッ!!!
狭い楽屋にひとつだけある大きな窓ガラスが派手な音を立てて粉みじんに砕け散る!
その窓をみずからの背中で突き破った毛むくじゃらの人影が、勢いもそのままに仰向けで背後の虚空にその身を投じる。
だがここは、地上から実に七階もの高さがあり……!
もはや自殺行為、アクロバティックな身投げもさながらだ。
ただし見た目がタヌキらしき謎の怪人は、それがみずから意図したものではなくて第三者に無理矢理に突き飛ばされただけに、およそ恥も外聞もなくした魂消るような悲鳴を発していた。
その一部始終を間近で見つめるこちらも謎のクマの怪人めは、覚めたまなざしで空中で手足をバタつかせるタヌキを見送る。
「うっわああああああああああああああああっっっ!!!」
「あ、ちゃんと両足で着地してくださいねっ、鬼沢さん! 今はゾンビの状態だからよほどのことがなければケガなんてしませんからっ、頭から落ちなければ実質OKです!!」
「わああっ、なっ、何言ってるんだよっ、ここ何階だと思っているんだ!? うっわっ、あああああああああああっっっ!!!」
やけに冷静なクマからの忠告に、背後の窓を派手に突き破って今しも高層階の楽屋の外へと放り出される哀れなタヌキが必死にわめき叫ぶ……!
それきりすぐに見えなくなったのに続いて、これをただちに追いかけるべくしたクマもガラスの破片をさらに勢いよく飛び散らせて外へとその身を投げ出した!!
いざ「ゾンビ」と化しての任務行動、公式アンバサダーとしての実施訓練のスタートだ。
「わああああっ! あ、え、ここって何階だったっけ?? は、わわっ、死んじゃう死んじゃうっ、死んじゃうよぉっっ!!」
仰向けの姿勢で楽屋の窓を突き破ってそのまま虚空に放り出された人型のでかいタヌキは、その背中越しに振り返って見た光景にただちに全身の体毛が総毛立つ!
はるか遠くにコンクリの地面が見えるが、今しもそこめがけてこの身体が重力の法則のなすがままに落ちていこうとしている。
通常なら絶対に助からない高さと落下速度でもってだ。
「ああ、いやだっ、いやだよっ、死にたくなっ……あ?」
シュタっ……!!
目をつむって死の恐怖にあがきもがく見た目ひとがたのタヌキのバケモノだが、それはただ一瞬のことで気が付いたらばすべてが一変していた。
地上七階から地べたまでの自由落下はほぼ一瞬で、頭から落ちるなと言われるまでもなくこの体勢を自然と空中で立て直していたタヌキ、もとい人気お笑いタレントの鬼沢だ。
直後には足下に堅い感触を感じたくらいでしっかりとコンクリの地面に着地していたことに見開いた目をひたすら白黒させる。
「あれ、着地できちゃった? あんな高くから落ちたのに??」
見上げたテレビ局の巨大な社屋、七階に相当するある一部だけが大きく窓が破損しているのを視認して、はたと首をかしげる。
「まあ、ゾンビだからそんなものです。もちろん個体差があるから一概にとは言えませんが、人間の時のそれよりはすべての感覚や運動能力が大幅に勝っているはずですよ? 今、鬼沢さんがその身をもってしっかりと実演してくれたように」
「……! なんだよ、おまえに無理矢理やらされたんだろ? よくもやってくれたよな、しかもこんなおかしな見てくれしてるのに、真っ昼間のこんな街中の屋外に放り出すだなんて……!!」
気が付けば音もなくすぐそばに着地していたクマ、厳密には日下部の澄ました返事にこちらは仏頂面して文句がだだ漏れる。
「お互いさまじゃないですか。もとよりこの見てくれに関してはそんなに気にしてくれなくていいですよ。それをこれから現実に実演して証明してみせます。もちろんふたりでですね? つきましてはここから大通りを渡った先にあるわりかし大きな公園、わかりますか?」
「公園? わかるけどなんで?? この局からちょっと離れたところにある『第三市民公園』だったっけ、ずっと昔のまだ若手の頃に相方とそこで漫才の練習とかしてたから、いざ番組収録の前とか大事な時に! でもよりにもよってそんなところに顔出したらすぐさまパニックだろ、あそこって普段から家族連れで混んでるし、そこまでもけっこうな人通りがあるし?」
不審な顔で尖った鼻先をひくつかせるでかいタヌキに、相変わらずのんびりした顔つきの大柄なクマがちょっとだけ意味深な目つきで先輩の芸人、今や見てくれの怪しげなゾンビ(?)を、その背後に面した大通りへと誘う。
局の敷地を離れたらそこはもう結構な人混みで、この格好で向かうのにはかなりの気後れがするタヌキの鬼沢をよそにさっさとそちらへと大股で歩きだした。
「おれの後に付いて来てください。ああ、おかしな物音を立てたりヘタに騒いだりしない限りは、見た感じちゃんと身体のステルス効いてるみたいだから大丈夫ですよ、鬼沢さん。周りにぶつからないように注意を払えば、走っても平気なはずです。それじゃ、行きますよ?」
「ステルス?? あ、お、おいっ! 行くって、このカッコじゃさすがにマズイだろ? ちょっと、クサカベ! 待ってよ、ひとりにしないでくれ!!」
その場で二の足を踏む鬼沢だが、周りの人気を恐れてこわごわと自らも足を踏み出す。結構派手な物音を立てたばかりだから、この場にいても人目を避けることはできないのは理解していた。
大股で詰めてそのでかい背中に手が届くぐらいになったら、この毛むくじゃらの巨体がいきなりスピードを上げて走り出した。
有無も言わさずにだ。
するとこちらも焦って駆けだしてしまうタヌキである。
「あっ、おいっ! そんな走るなよっ、て、信号もないところでいきなり渡っちゃうの!? だ、大胆だなっ、みんな見てるじゃんっ!! テレビタレントが人前でそんなことしたら、しかもこんなおっかない見てくれでっ、おおいっ、待ってくれよ!!」
東京の都心で、おまけ昼間の街中じゃ人通りも車の通りも決して少なくはない。
そんな中に正体不明のバケモノが二体も出現したら、ちょっとしたパニックは免れないだろうと恐れおおのくテレビタレントの心配をよそに、何の苦もなく大通りを横切ってその先のビル街の脇道へとその身をくらますクマの後輩芸人だ。
その後を必死になって追いかけた。
なんて悲鳴や罵声を浴びせられるのか気が気ではない鬼沢だが、なぜかどこからもそれらしきが上がらないのには、内心で不可思議な困惑と共に、もはや夢なのかとさえ疑ってしまう。
「いいや、だったらさっさと覚めてくれよ! おおい、クサカベっ、あ、騒いじゃダメなんだっけ? おおーい、いた! ちょっとクサカベっ!!」
まだ慣れない感じの毛だらけの身体と背後でぶんぶんと揺れるシッポのバランスに悪戦苦闘しながら、どうにか見失いかけた後輩の背中に追いすがる。ちょっとスピードをゆるめて小走りくらいのクマは覚めたまなざしで大汗だらけのタヌキを見返した。
「……ほら、平気だったでしょ? この調子で目標の公園まで行きますよ。この姿になったおれたちは普通の人間の知覚や認識では捉えにくくなっているんですよ。人間じゃ無いんですね、しょせんは? 気を引き締めて息を殺していれば、まず感づかれることはありませんから」
「そ、そうなのか? 確かに周りの誰とも目が合わないのがびっくりなんだけど、つまりはこれって『透明人間』になってるってこと?? すごいじゃん!!」
「……いえ、厳密には違うと思いますよ? というか鬼沢さん、なんか今やらしいこと頭で考えてるでしょ? そういう煩悩や雑念が働くと途端に見えちゃったりするから、やっぱり透明人間じゃないんですよ、おれたち! 気をつけてくださいね?」
「や、やらしいって何だ! そりゃちょっとは想像したけど、この見てくれでそんなのただの変態だろ!! ……触ったりはできるんだ?」
「発言がことごとくいやらしく聞こえますよね? もちろんできますよ。でもたぶんその時点で、この身体のステルスが切れちゃうと思いますけども。フェードとかも言ったかな? 要は気配を殺して身を隠しているんですが、驚いたことにカメラとかの撮影機器にも写らないらしいですよ、ちゃんと意識してその状態を保っているぶんには?」
「いや、その状態って、どれがそれなんだかイマイチわからないんだけど? 意識をそれなり集中していればいいのか?? それともこれもいわゆる慣れってヤツ??」
「あはは、良くおわかりで。理解できてるんならこんな人通りを避けた裏道でなくても大丈夫ですね! それじゃさっさと人通りを渡って目的地へと向かいます。くれぐれも余計な物音は立てないでくださいね!」
「あっ、だからっ、ああっ、もう、待ってよ……!!」
なるべく物音を立てないように用心しながら人混みを息を殺して走り抜ける二匹のバケモノたちだ。
その身に古めかしい装束をまとってはいながら、この足自体はどちらも裸足なので余計な靴音などは響かない。
だが雨上がりの歩道はいたるところに水たまりがあって、そこを渡るたびに水音だけがピシャピシャと鳴るのだった。
ほどなくしてお目当てとしていた市民公園へとたどり着く。
いざ公園に着いてみれば、そこは思った以上の家族連れで賑わっているのに、ちょっと意外げな顔でこの広場の入り口近くから辺りを見渡す鬼沢だった。
雨上がりの晴れた日常の風景にじぶんがいかになじまない見てくれをしているのかひどい困惑を覚えながらも、目の前の平和な景色には内心でカレンダーの日付を思い出す。
「あ、そうか。今日って休日なんだっけ……! あ~ぁ、それなのにどうして俺はこんな……!!」
恨みがましげにすぐ隣で呆然と同じ景色を眺めているいかついクマのバケモノを見やるが、その当人、後輩の他事務所所属の若手の芸人くんはそ知らぬさまで明後日の方向に目線をくれる。
チッと小さく舌打ちして、それから辺りの平和な景色を改めて眺めては自然と深いため息をついていた。
それにクスっと笑うような気配を発するクマが言ってくれる。
「ね、見えていないでしょう? こちらからわざとわかるようなそぶりを見せなければ、おれたちはほぼいないも同然なんです。それこそがゾンビのゾンビたるゆえんですね?」
「はあん、みんな家族の団らんを楽しんでいるよな。ここに得体の知れない不審者がいるとも知らずにさ! しかもふたりも!! こんな目立って仕方がないカッコをしていてもまったくバレないのはありがたいけど、タレントとしては悲しいものがあるよな……! いや、こんなゾンビ、もといバケモノじゃ仕方ないのか、おまけに俺ってタヌキなんだ? はああ、家族になんて説明すればいいんだよ……」
がっくり肩を落とすタヌキの妖怪と化した鬼沢に、相変わらず他人事みたいな物言いのクマのバケモノ、日下部がぬけぬけと言ってくれた。
「言わなくていいんじゃないですか? さしあたって今のところは?? このあたりまだ法的な整備が整っていないんだし、亜人種管理機構への個人的なカミングアウトだけで十分ですよ。周りへの周知は後後にしておいてですね。かく言うこのおれもごく一部のひとにしかそれとはっきりとは言っていないし。まあ、噂はいろいろと走っているようですけど……」
「ああ、俺もいろいろ聞いてるよ。あることないこと、ありとあらゆる妄言から誹謗中傷みたいなことまで! まったくいざ自分の身に降りかかるとなると寒気しかしないよな、こんなの!!」
「慣れるしかないんですかね、誰しもが……? 社会の共通認識としてそれが正しく認知されるまで、あるいはおれたちが一方的に我慢し続けるか? 無理がありますかね。平和が一番だなんてのんきなことは言ってられないこのご時世ですから」
「なんか気が滅入ってくるよな? で、どうしてこんな真っ昼間の平和な公園なんかに連れて来たんだよ? 俺たち、ここじゃ異物か不審者でしかありゃしないぞ。くそ、家族と来てたら最高の思い出作りじゃないかよ。ここってこんな穴場だったんだ!」
ちょっと悔しげなさまで身もだえするタヌキに、隣のクマがちょっとだけ苦笑いしてそこからまじめな話を切り出した。
「来たのにはちゃんと意味があります。実際の肌で感じた自分の身体の出来具合を見るのと、人混みに問題なく紛れることができるのかのチェックとかを兼ねてですね? この点、鬼沢さんは自然とできているから問題ないですよ。たとえ家族の前ででもその姿でいる限りは見つかることはありません」
「だからそれはそれで、なんか悲しいだろう? あれ、いざ正体を明かしたところでこの姿を見せることができなかったら、なんか説得力がないんじゃないのか? ただの嘘つきみたいな??」
「まあ、そのあたりは、説明がしづらいんですが、たとえば自慰をしているところをわざわざ家族に見せることはありませんよね? それと同じで、あえて隠さずに見せようと思えば見せることができるはずです。恥を忍んであえて恥部をさらすみたいな感覚で?」
しまいにはえらくぶっちゃけた物言いをしてくれる後輩に、家に帰ればタレントからマイホームパパになる中堅芸人は泡を食ってわめいてしまう。周りを気にして口元に手のひらを当てて努めて語気を落としつつ、それでも最後にはまたわめいていた。
「待て待て! 自慰ってなんだ! ……あ、語弊があるだろう、俺は間違っても子供の前ではそんな姿見せないぞ? この姿はそんな恥ずかしいことなのか? 冗談じゃない! だったら俺は絶対に見せないぞ、家族にこんなわけのわからないゾンビ、じゃなくてタヌキのカッコ!! だからなんでタヌキなんだよっ!?」
「愛嬌があっていいんじゃないですか? おれは好きですよ、タヌキの鬼沢さん。むしろ元の姿の時よりも愛着あるかも? 普段は坊主の太ったおじさんですものね? いかにも見え透いたビジネススマイルの??」
「待て! それこそ語弊があるだろう? おじさんなのは認めるが、ビジネススマイルってなんだ?? 俺はお笑い芸人だよ、根っからの! そもそもまだ若手のお前にどうこう言われる筋合いはない。それよりも、これからどうするんだ?」
ひょうひょうとした後輩の横顔を睨んで問いただすのに、いっかなに悪びれるでもないクマはこれまたぬけぬけとしたさまで果ては意外なことをさらりと言ってのけた。
「まあ、とりあえずはその状態に慣れてもらうことが一番ですかね? 来ている衣服、装束っていうのか、そのへんのアイテムだとかもそれなりに調べて使い方をきちんと押さえてもらって……あ、あと、あるひとを呼んでいますので、この場でそちらとの顔合わせもしてもらってですね……」
「あるひと? え、誰?? なんかコワイんだけど、このカッコで引き合わせるってことは、ひょっとしてそのひとも……!」
怪訝なさまで毛むくじゃらの頭を傾げさせるのに、落ち着き払ったクマの妖怪はあくまでもクレバーな調子で言ってくれる。
「会えばわかりますよ。ちなみに鬼沢さんも知っているひとです。ちょっと意外かも知れないですけど? でも身元自体はとてもはっきりとしているひとですから」
「は? まさか顔なじみの先輩のお笑い芸人が出てくるなんてことはないだろうな? 頭に黄色いメットを被って?? ドッキリじゃん! タチの悪い? でもこの俺たちのことが見えるヤツなんだろ、だったらやっぱり……」
「来ましたよ。ほら……!」
「あ!」
何かしらの気配に感づいたのか、ふと背後を振り返ってそれと目線でそちらを指し示す日下部だ。
これに同じく背後を振り返る鬼沢なのだが、いざ振り返って見た先にいた人物に、ポカンとしたさまで大きな口を開けてしまうのだった。
確かに見知った人間がそこにはいた。
だがそれは実に思いもよらない人物で、なのに比較的に身近な立場にいるごく見知った人間だったのだ。
それこそが……!
※次回に続く……!